英語で何かを読む、というときに、「多読」や「精読」というワードを聞いたことはありませんか?大事なもの、ということはなんとなく分かるけど、じゃあ「精読」ってなに?と聞かれると、説明が難しかったりします。
そこで、本記事では、「精読」の定義や意義を解説していきます!
ほとんどの学術用語と同様、「精読」という言葉も、分野によって様々な定義、使われ方をされています。まずは、各領域の「精読」を確認してみましょう!
①「文学批評」の世界の「精読」
「精読」は、元々教育の世界で用いられていた用語ではなく、文学研究の世界で用いられた用語でした。「読む」ことに関連するので、なんとなーく納得してもらえると思います。まずは、「精読」の歴史や定義を簡単に解説します!
文学批評における「精読」の歴史
精読の歴史を知るには、イギリスに注目する必要があります。
まず、1590年代に、イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンが「読むこと」の利点を強調しました。同じ時期に活躍したミシェル・ド・モンテーニュと同様に、書物には「じっくり読むべきもの」「部分だけ読めばいいもの」「さっと読めばいいもの」があると説き、分類しました。
このように、何を読むかによって、読み方(読書方略, reading strategies)を変える、という考え方が生まれました。
さらに、「精読」に限れば、宗教とも関連します。聖書をどう読解するか?という方法論から発展したのです。そのため、最初期の「精読」の対象は聖書や法律文書だったのです。有名なところでいえば、世界史の教科書にも載っている、マルチン・ルターの宗教改革があります。彼は聖書を精読し、聖書に書かれていることに厳密に従うべきである、と説きました。

ここまでは、宗教と「精読」の結びつきについてみてきましたが、今の私たちが想像する「精読」は、主に文学作品を読むことだと思います。それでは、「精読」と文学はどのように結びついたのでしょうか?
1820年代までのイギリスでは、高等教育はいわゆるエリートのもので、しかもイギリス国教会が独占している状態でした。当時はラテン語で書かれたいわゆる「古典」を学んでおり、イギリス文学を学ぶことはできませんでした。
その状況は1830,40年代から変化し始め、英文学の教授が大学で行われるようになります。それと同時に、中産階級の人々も高等教育を受けられるようになりました。これを受けて、たとえばF. D. モーリスは、優れたイギリス文学によって、中産階級の人々を啓蒙しようとします。つまり、優れたイギリス文学を読ませることで、愛国心を育て、立派な「英国紳士」を育てようとしたのです。(このころは、女性は高等教育を受けられませんでした。)
この頃の精読は、テキストだけを厳密に読むべし、というもので、アメリカでは「ニュー・クリティシズム(New Criticism)」、イギリスでは「実践批評(Practical Criticism)」と呼ばれます。繰り返しになりますが、このころの英文学者は、「テキストだけ」を綿密に読みます。歴史的・文化的な背景は作品自体のノイズになると考えたのです。
しかし、現在は私たちが知るように、文学作品はその作品の時代背景や文化を踏まえて読むべし、という考え方に変化していったのです。
文学研究における「精読」の定義
精読の定義には様々なものがありますが、例えばAne (2024)は以下のように述べています。
Close reading is a physical practice that involves the optical or tactile and cognitive act of reading texts attentively. Physically, we can imagine bending our head over the text in question, letting our eyes (or fingers) fixate on words and characters to allow them to form cognitive meanings and correlations. We read fast, then maybe slow, in parts and then as a whole, and then we read again. Our eyes (and fingers) catch words that leave unconscious impressions and memories that enable us to form meaning through time and repetition. These repetitions qualify us to carry out an interpretation of the text.
Ane Ohrvik. (2024)

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専門的な論文だし、英語で書かれているから難しいよね……。
私なりに翻訳&分かりやすい言葉に変えると、こんな感じです。
「精読」とは、注意深く文章を読むときの、視覚・触覚を身体的にキャッチすること+それを認知する行為のこと!私たちは、テキストの上に頭をもってきて、文中の言葉や登場人物に意識を向けて、意味や文の構造を理解しようとするのを想像できるよね。私たちは速く読んだり、ゆっくり読んだり、一部だけ読んだり全体を読んだり……それを繰り返す。その繰り返しによって、私たちの目や指は、無意識に言葉や登場人物の印象や記憶を手に入れて、文章を解釈できるようになる。
意外と当たり前のことを言ってましたね(論文あるある)。とにかく注意深く何度も文章を読んで、解釈していくこと、とまとめられそうです。
②法学の世界の「精読」
前の章でもチラッと書きましたが、文学作品と同様に、法律関係の文書も、「精読」の対象でした。ここでは、法学における「精読」の定義を簡単に確認してみましょう!
なお、筆者は法学に明るくない点、ご了承ください。
法学における「精読」とは
法学の世界において、「精読」の対象は、過去の判例、証拠となる文書、証言などがあげられます。「精読」は、法律家にとって必須のスキルとして、特に大学生にどのように指導をするか、という点で注目されています。
「精読」により、法律家は文書や判例から事件の関係者を整理し、どのような法律が関連するかを考えます。また、証言の信頼性や妥当性を検討する際にも、この「精読」の技術は用いられます。

文学のように解釈をゴールとするのではなく、情報を整理すること、分析することがメインとなるよ
このように、法律・法学と言語は深く結びついているのです。次の項で、さらに深堀りします。
「法言語学」とは
法言語学については、堀田(2006)の研究ノートの中で詳しくまとめられていましたので、それを中心に引用や要約をしながら紹介します。
現在は、言語分析と法の関連を扱う研究やその学問を総称して、「法言語学」あるいは「言語科学と法 (Linguistic Science and Law)」と呼びます。しかしながら、そこに至るまで、少しずつ法学の世界に言語学の手法が応用されるようになる歴史的な流れがありました。
「法言語学」発展の略史
①言語哲学との交わり
最初期の法学と言語の関係は、言語哲学の分野と交わったところから始まります。言語そのものを研究対象とするのではなく、言語哲学の手法を通じて、あくまでも法を研究しようとしたことがポイントです。具体的には、以下のような研究がありました。
(前略)世界は言語によって構成されるという前提から、法や法システムを言語論的転回という立場から論ずるものと、法律文や裁判における談話の文体研究の類が中心である。
堀田(2006, p.110)
②「法言語学」の誕生
1950年代には、チョムスキーの登場により、言語学が「科学」として認められるようになりました(チョムスキーの研究については、他の記事を読んでみてください)。大ざっぱな言いかえると、チョムスキーたちの研究は、数式やデータを用いていて、科学っぽい!信頼できる!とみなされたわけです(科学偏重主義の時代には、様々な学問が「科学」になろうとしました)。
これにより、言語学/言語科学は、他の分野との連携がさかんになり、言語学の分析手法は、やがて法の世界でも用いられるようになりました。
このような、言語科学的な立場から言語と法のかかわりを分析する言語学を、法医学になぞらえて、「法言語学」と呼ぶようになりました。
とはいえ、この頃の法言語学は、今よりも狭い範囲を扱う分野でした。具体例を引用します。
(前略)本来、法言語学という用語は、裁判や犯罪捜査で言語に関する証拠を鑑定するために言語学分析を用いることを目的とした狭い領域を指す。例えば、声紋分析や筆跡鑑定による人物特定、ことばに基づく証拠の分析、証言の信憑性の実験、事実認定者による判断の実験、プロファイリングなどの分野である。
同上
厳密にいうと警察が舞台なので違いますが、イメージとしては、2026年の春にも放映されているドラマ、『未解決の女 警視庁文書捜査官』シリーズが近いかもしれません。
ながなが書きましたが、ともかく、言語学の科学的な分析が評価され、法の世界でも応用されるようになった、というお話でした。
③近年の動向
近年は、さらに応用の範囲が広がっています。
(前略)近年の法言語学の研究は、そのような証拠分析と言った限られた範囲に留まらず、裁判における言説の分析、裁判結果に見られる言語に関する争点の再考、ひいては裁判官による陪審への説示(jury instructions)の分析・改善案提示などのような政策提言的な研究などにも広がりを見せている。
同上
と、さらに言語学と法学の交わりは深くなり、様々な法的文書の分析に言語学の手法・知見が用いられるようになっているのです。
法学の世界の「精読」まとめ
このように、法学の世界において、「精読」とは、法律文書を分析して情報を整理し、その信頼性や妥当性を検討することだとわかります。
一般的な「精読」でイメージされる解釈というよりも、矛盾や問題点を見つけることが主眼となります。
③教育の世界の「精読」
教育の世界においては、「精読」は、「多読」や「速読」とセット、あるいは対の存在として語られることが多くなっています。それでは、具体的に「精読」はどのように捉えられているのでしょうか?
「精読」と「多読」の違い
英語教育用語辞典(白畑ほか, 2019)や平松(2009)を参考に、それぞれの定義をまとめると、以下のようになります。
テクストの内容と言語表現を深く、かつ詳細に分析しながら読むこと。
意味を読み取ることを第一の目的として、大量に教材を読むこと。
テクストから自分の必要にあった情報を素早く読み取る技能を養う学習法。
このように、「精読」は、1つの教材(テクスト)を、単語や文の解釈に注目したり、場合によっては発音指導も同時に行うことで、昔から言語教育で行われてきた方法と言えます。日本では、文法訳読式という、一単語ずつ訳しながら読む方法と組み合わせて行われることの多い方法です。
一方の多読は、ひとつひとつの語句や文法に注意を払うのではなく、テクスト全体の意味や内容に意識を向け、たくさんの本を読んでいく方法です。たくさんの本やテクストを読むことで、読解力を高めることを目標としています。近年、多読はその学習効果の研究が進んでおり、注目されている学習方法です。
「精読」教育の課題
さて、前項で確認したように、「精読」は近年、昔に比べると積極的に行われなくなってきました。その要因には、どのようなものがあるのでしょうか?
平松(2009)は、第二言語教育(ご専門はフランス語です)の立場から、「精読」の課題を以下のように指摘しています。
これまでの読解能力中心の指導法に対して、コミュニケーション能力中心の考えに立つならば、たとえば、学習過程において母語への依存度が高いために目標言語の運用力がつきにくいとか、書き言葉の習得が中心になってしまうとか、時間をかけて詳しく読んでいくために読む量が極めて限定的にならざるを得ない、などの批判がなされるであろう。(後略)
(前略)文学テクストを教材とする授業は、特に精読法や文法訳読式の場合、教師による一方的な指導になりがちである。
平松(2009)は、読むテクストや育成できる技能が限られてしまうこと、また学習者の動機づけの観点から、問題点を指摘しています。精読は、もちろん学習効果もあることが実証されていますが、弱点もあることもまた事実なのです。
また、石井(2025)は、国語教育の観点から、精読の課題点を以下のように語っています。
(前略)学習指導要領改訂をまともに引き受けてカリキュラムを編成するなら、教材を読む時間数は確実に減る。定番だった小説教材をこれまで通りに扱えなくなった学校も多いと聞く。共通テストで今年度からはじまった、実用文やグラフ、表の読み取りを行なわせる大問三の出題形式からわかるように、短い時間で必要な情報だけを主さ選択する力が求められている。
(前略)[教員が]授業で必要な情報を、精読ではなく検索によって得る傾向は、評論教材の多様化などによって、より顕著になるはずだ。
と、国語教育の変化を踏まえ、時間的な制約や、AI・インターネットの登場により、求められる力が「精読」から「検索」に変わったことを課題としています。これは国語だけでなく、多読や速読が求められている近年の英語教育にも当てはまる指摘であると私は考えます。
まとめ
各分野において、「精読」は重要な研究方法・解釈の方法として確立されてきました。元々は文学の世界で、厳密な解釈をするために生まれた方法が、法学や教育の世界にも波及し、妥当性や語彙・文法の検討に使われていった、という流れがあるのです。
今回は、「精読」が扱われる主要な3分野を紹介しました。「精読」に関する研究は数多くあるため、このブログを通して、皆様と一緒に読んでいけたらと思います。
ついつい長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
それではまた次回のゼミでお会いしましょう!お疲れ様でした~!
この記事を書いた人
参考・引用文献
Ane Ohrvik. (2024). What is close reading? An exploration of a methodology. The Journal of Theory and Practice. 28. 238-260. https://doi.org/10.1080/13642529.2024.2345001
Peter Barry. (2017). Beginning theory : an introduction to literary and cultural theory 4th edition. Manchester University Press.
石井要. (2025). 『精読が忌避される時代の国語教育』「日本近代文学」112. 145-150. https://doi.org/10.19018/nihonkindaibungaku.112.0_145
井田浩之. (2017).『アクティブ・ラーニングの基盤となる「精読」のあり方をめぐって』「城西大学教職課程センター紀要」23-34.
白畑知彦, 冨田祐一, 村野井仁, 若林茂則. (2019). 『英語教育用語辞典第3版』大修館書店.
平松尚子. (2009). 『フランス語の読解指導における精読と多読の効用について』「藝文研究」96. 165-177. https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00960001-0177
堀田秀吾. (2006). 『言語学理論と英語教育の架け橋としての法言語学』「立命館言語文化研究」 17, 2. 109-126



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